リヴの代名詞ともなってきた大型木造建築事業の中心メンバーで、県外の地域工務店の支援も手掛ける市川さんにインタビューしました。
リヴとの出会い
大手建築メーカーに勤めていた市川さんが、リヴに入社したときのことを教えて下さい。
市川:勤めていた会社では設計を担当していましたが、完全に分業制で自分が手掛けた建物やお客様の顔がほとんど見えませんでした。自分はやっぱり地元の人の顔が見える仕事がしたいと考えて転職を決意しました。
市川:転職にあたりいろんな企業を回りました。当時のリヴは5人くらい。あまりにも大手だと個人の顔は埋没してしまうと感じリヴへの入社を決めました。
リヴでは最初どんな仕事をしていましたか?
市川:最初は営業をしました。注文住宅やリノベーションなどどんなことでも売上をつくっていました。正直厳しい面もありましたが、リヴが大きくなる過程で自分が中心にやったことが事業になっていったので、貴重な機会をたくさん頂いたことに感謝しています。
リヴでの実績、印象に残っている仕事
リヴで一番印象に残っている仕事はなんですか?
市川:「平成の京町家」という事業が印象に残っています。京都市が推進しており、伝統的な京町家の知恵と現代の環境技術を融合した京都型の環境配慮住宅をつくろうというプロジェクト。産官学が集まり、京都市・京都大学の先生・設計士とリヴが条例をつくるところから参画しました。その時のつながりや知識が、今の大型木造建築にも繋がっています。思えば「平成の京町家」プロジェクトが、リヴが建設会社として大きく動き始めたきっかけだと思います。新聞などのメディアに取り上げて頂く機会も増えてきました。
大型木造建築事業はどのように始まったんですか?
市川:当時、鉄骨の価格高騰が社会問題になっており、資材がなかなか手に入らない時期がありました。そんなときに大手メーカーが木造の5階建てを建てたことを知り、木造で家を建てている自分たちも挑戦してみようとしたのが始まりです。
市川:模索しながら施工は戸惑うことが多かったです。大型の建物特有の新しい金物が必要になったり、住宅とは違う法律などの知識も必要でした。ですが最初に建てた自社ビルSU・BA・COでトライ&エラーを繰り返した失敗事例が、今の大型木造建築事業に活かされています。
大変だったことは何ですか?
市川:住宅とはは営業スタイルが違うことです。住宅はある程度営業のテンプレートがありますが、いちからつくらないといけませんでした。
自分の夢
市川:どんどん時代の考え方が変わっていくので、常に新しいことをアップデートし続けられるようになりたいです。
市川:最近は本をよく読んでいます。地元の図書館に通って、新刊コーナーで普段自分が買わないような本を借りて読んでいます。去年は200冊くらい読みました。同じテーマに対していろんな人の話を読むようにしています。